私の異様な履歴

2011年7月25日
コラム就業歳時記

 私は今日に至るまで、学生、研究者、教員、IT企業のテクニカルアドバイザー、IT企業経営者などを繰り返したり、同時進行したりしてきた。

 大学(学部)を卒業してから、ある高等教育専門学校の教員になった。大学での専門は数学であって、それが好きなあまり、数学さえよく知っておけば、自分のしたいことはほぼ何でもできてしまうと思うほどであった。しかし、社会に出てみて、数学だけではだめで、知らないといけないことが山ほどあることを痛感したのである。それまでは、「社会はもう一つの大学である」ということを何回か耳にしたことがあったが、その通りか、それ以上であった。

 数年後、ある大学の大学院に進学した。今度の専門は数学ではなく、情報工学であった。大学院在学中、色々勉強できたが、その中でも特に次の3つのことを学べて大変よかったと思っている。(1)周知の通り、大学院では勉強と研究の両方を同時に行わなければならない。最初は勉強と研究の区別が中々つかず、随分苦労をしたが、指導の先生や先輩たち、場合によっては後輩たちのおかげで、人並みの研究をできるようになった。(2)私が所属した研究室は、当時としては比較的人気のある研究室であって、博士前期・後期を合わせて30人以上の院生がいて、ほぼ全員が何らかの形でコミュニケーションができる環境にあり、互いに刺激し、互いに学び合い、自分の社会人基礎力を形付けることができた。(3)知り合いや仲間をできるたけ沢山作ることの重要性を知ることができた。知り合いや仲間が大勢いてこそ、私共がより生きがいを感じ、仕事や研究のやりがいを感じることを実感した。

 大学院を終えてすぐ大学の教員になった。今度は教員かつ研究者であって、これまで学んだことを更に実践する場になった。それまで、大勢の仲間たちと一緒に成長したかいがあってか、学生たちとすぐに打ち解けることができ、研究も勉強も一所懸命やってくれる学生が段々増えていき、同じ職場の先輩教員たちからも大変可愛がってもらうことができ、その名残が今日まで続いている。そのような充実した環境を提供してくれた大勢の方々、当時の学生たちも含めて、この場を借りて深く感謝を申し上げたい。

 やがて、IT業界団体主催の勉強会での公演依頼がきっかけで、ビジネス界の方々との繋がりでき、非常勤ではあったが、2年つきで、あるIT大手企業のテクニカルドバイザーになった。しかし、私がアドバイザになったと言うより、企業が私のアドバイザになったと言ったほうが正確である。アドバイザとして期待されたことの大半について、私はかなりの勉強不足であったため、何とか期待に答えたいと、一所懸命勉強した。ついでに、ITビジネスに関しても色々と勉強できた。

 更に数年後、今度は知り合いから、ITビジネスを立ち上げたいので、力を貸せと頼まれ、1年だけならやってもよいという条件で参画した。小さい会社ではあったが、好スタートであった。しかし、難しい知識の要る分野だったので、人材が集まらなく、3年後、その後の仕事を打ち切り、会社も休止した。残念ではあったが、経営についても少し勉強できた。

 私は、以上のように、純粋の理論的な学問から教育や研究、ビジネスや経営まで多かれ少なかれ色々な経験ができて大変よかったと思っているし、自分の本職である教育や研究の現場で、その経験を少しでも活かせたらいいなと思っている。

大学広報ワーキンググループ 福田ムフタル

文部科学省WEBサイト

大学生の就業力育成支援事業
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kaikaku/shugyou/1292891.htm

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