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◇愛情教育、この指とまれ◇その738◇ 令和の時代に挑戦しよう。 名産大3年生物語 vol.18竹澤 伸一

「小学校、中学校、高校の友人と会う機会があると、いつも考えさせられることがあります。友人の中には、自分の具体的な夢の実現に向かって、すでに走り出している人がいます。ところが、いざ自分を振り返ってみると、大学生をやっていても、今ひとつ自分の夢の具体像が曖昧なところがあります。走り出して積み重ねている友人に会うと、なんか焦りますね。」

錦古里拓海くんは、額に手を当てながら考え込むそぶりを見せました。

私は、年年歳歳、大学生と会話してきて、錦古里くんと同じような、言わば「漠然とした不安」を聞き取ってきた気がします。大学生には、高校を卒業して就職し、すでに実社会の中で生業に励んで、具体的な何者かになろうとしている同級生が必ず身近にいます。未だ、何者になるかわからない自分と引き比べて、彼らの存在は眩(まぶ)しく見えることがあるかも知れません。ましてや3年生ともなると、社会人となっている同級生の中には、すでに結婚して、父親・母親になっている友人がいても不思議ではありません。

でもね、錦古里くん、反対に社会人となっている彼らこそ、大学生という「身分」をうらやましがっているのも確かなのですよ。およその年齢で言うと、18歳から22歳が大学生ということになりますが、この数年間を、社会人に比べると比較的自由に使えるのも、間違いなく大学生の特権なのだと思います。そうです、まさに「特権」なので、せっかくだから有意義に使わないとね。

もはや完全に使い古された言葉ですが、私が大学生の時に、「モラトリアム」という言葉が、やたらと流行っていました。文字通りの意味だと「支払猶予」。つまり、何者かになる決断を、ちょっと待ってもらえる時期が大学生という意味です。

錦古里くんの決断は近いなというのが、私の印象です。でも、決して焦ることなく、学びを深めながら将来を見つめていってほしいなと思います。

(つづく)