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◇愛情教育、この指とまれ◇その804◇続々、名産大のキャリア支援の今をお伝えします。 vol.4竹澤 伸一

『4年生就活成功物語』の主人公たちに、私が2番目に聴いているのが、「一番苦労した点は何ですか?」という問いです。ふつうに考えて、苦労しない就活などあり得ないのですが、あえて「一番苦労した点」を答えていただいています。

やはり主人公たちは、例外なく「面接」と答えています。記事そのものには、「面接」と書いてないものもありますが、よくよく聴いてみると、「面接」の難しさを必ず語ってくれます。

では読者の皆さま、企業や役所等が課す「面接」とは、いったいどのようなものでしょうか。巷間(こうかん)、無数の「面接対策本」が出回り、就活サイトも専用のページを持ち、就活エージェントの多くが「面接の練習」を生業(なりわい)とし、もちろん本学のキャリア支援課の職員も、学生の求めに応じて「面接の練習」をおこなっています。かく言う私も、研究室ではゼミの内外を問わず学生の「面接練習」を引き受け、学外ではボランティアで、主に転職・再就職の「面接対策」を引き受けている・・のですが、「面接」とは、いったいどのようなものなのか判然としません。私個人の見解では、9千人を超える方々の「面接練習」を経験しても、未だに「これが面接の正体だ」、「これが面接の極意だ」というものが、はっきりとはしていません。

こう書くと、「今さら何を言ってるんだい。採用面接なんて、自己PRと志望動機さえ明確なら、それほど複雑に考えることもないじゃないか。」という「お説」が聞こえてきそうです。確かにその通りなのですが、「人が人を面接するという行為には、単純には割り切れない、何か得体の知れないもの」があるというのが、「面接をする」と「面接をされる」の両方の経験があり、「面接をされる人を支援する」という現在進行形の体験を積んでいる私が、現時点でたどり着いた見解なのです。

突然ですが、読者の皆さまは、体操や新体操、あるいはフィギュアスケートなどの採点競技を、どのように思われるでしょうか。当然、採点にはプロの審査員が当たるので、厳正公平な結果が出るはずなのですが、時として「あれ?」と思わせられる結果が出ることも、ままありますよね?実は、就活の「面接」にも、同じような「あれ?」が起こることがあると、私は思っているのです。

(つづく)