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◇愛情教育、この指とまれ◇その833◇アクティブラーニングで開花しました。 名産大4年生物語 vol.23竹澤 伸一

「質問力もそうなのですが、竹澤先生には、人間としての『基本のき』を教えていただいたと思っています。」原田周弥くんは、我が身を振り返りながら、さらに訥々(とつとつ)と語ってくれました。

「2年生のある時期、多くの大学生が経験することだと思うのですが、私も中だるみに陥りました。次第に、朝起きるのが遅くなり、その分、夜更かしも増えました。そうなると、寝坊により、1限目、下手をすると2限目の授業に遅刻をして、出席が足りな目になります。さすがに欠席過多になることはありませんでしたが、ギリギリセーフの科目が出てきて、理解が追いつかず、成績が下降気味になりました。そんな時に出会ったのが竹澤先生でした。」

原田くんは、気恥ずかしさがよみがえったのか、少し言い淀みました。

「そうだね。原田くんと出会ったのもゼミ面接の時だったよね。学生カルテを見ながら話をして、じっくり話を聴かせてもらったけど、1つだけ私が厳しいことを言ったのを覚えているかな?」

原田くんは、間髪を入れず、こう答えました。

 「はい、私の寝坊癖を一発で見抜かれ、『欠席過多で授業の単位がもらえないような、レベルの低い学生にだけはなるなよ。』と、はっきり言われたのを覚えています。先生の口調も厳しかったですが、真正面から目と目が合って、その目の厳しさは一生忘れません。」

「一生忘れない(笑)・・。本当に忘れてはいけないのは、実は私自身だということも話したよね?」

原田くんは、これにも間髪を入れずに答えてくれました。

「先生が中学校教員の時、先生の寝坊のせいで、教え子の受験生の出願が間に合わなかったお話ですよね?」

私と出会った学生の皆さんのうち、大抵の人たちには話してきた、私の痛恨の失敗談です。当時、受験生や保護者ではなく、担当教員による出願しか認めなかった、大変レアな高校がありました。しかも窓口が開いているのは1時間だけ。その日、明け方までその受験生の調査書を書いていた私は、仮眠のつもりが寝過ごしてしまい、窓口に着いたのが締め切り10分後という大失態をしでかしたのです。

(つづく)