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◇愛情教育、この指とまれ◇その547◇アクティブラーニングはやっぱり学生が主役 vol.47 竹澤 伸一

実は、「アクティブラーニングはやっぱり学生が主役」の連載が始まってから、名産大のある近隣の高校の先生と、メールのやりとりを20回以上しています。仮にC先生としておきます。私にとって、とても生産的なやりとりで、勉強させていただいています。本日は、やりとりの一部を(C先生のお許しのもと)開示させていただきます。

C先生「竹澤先生のアクティブラーニング論は、かなりの部分で賛同できます。私も10年以上も前から、一方的な講義は一切やめました。すると、生徒たちの授業への食いつきが断然違ってきて、学力の指標の1つであるテストの粗点も、20%以上上がりました。しかし、生徒に仕掛ける学習問題の準備、広く生徒の意見を引き出すための教材の準備が間に合わず、ついつい講義でごまかしてしまうことがあります。竹澤先生は
中学校教員の時も、大学教員の今も、すべての授業をアクティブラーニングで実施しているのでしょうか?だとすれば、準備はどのようにされているのでしょうか?」

竹澤「ご指摘、ご質問、ありがとうございます。実は、私は教材を準備する際、マックスで必要な内容・分量の20%から30%を捨てて、精選しています。仮に講義形式で、内容の100%を詰め込もうとしても、途中でウトウトされたら5%も身に着かないことはわかっています。そこで、例えば70%の分量に絞って、グループワークやディスカッションを取り入れ、学生が自分の言葉で繰り返し発言し、ミニレポートでまとめたら、誰も寝ないし、理解度は最低でも50%は超えます。何でもかんでも教え込もうとするから、下手をすると何も残らず、ただ『お話を聞くだけ』になってしまうのです。たぶんですが、アクティブラーニングの根本は、思い切って捨てる部分をつくることではないでしょうか?」

(つづく)