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◇愛情教育、この指とまれ◇その574◇令和の時代を生き抜く 名産大1年生物語 vol.24 竹澤 伸一

「そう言えば私も、先生が、ただ一方的にしゃべるだけの授業を、たくさん経験してきたと思います。」Bくん(仮名)は、少し肩を落として述懐します。

「教育原理の授業で、授業で使えるアナロジー(類推)とメタファー(比喩)について学びました。アナロジーもメタファーも、教科に関する生徒の内容理解を促すのに役立ちます。それに、教師が使うだけではなくて、生徒や学生が使えるようになれば、考えるための引き出しが増えて、ディスカッションやグループワークにも役立ちますよね。」

Bくん、本当にその通りです。教師が陥りやすい過ち(まさに「過ち」です。)は、「自分だけがわかっていて、児童・生徒・学生がわかっていないのに、次に行ってしまう。」ということです。教師は、その授業内容の専門家なのだから、内容がわかっていて当たり前です。一方、目の前の学生は、「予習してきて、けっこうわかっている人」

「予習はしてきたけど、未理解な部分をたくさん持っている人」「そもそも、その授業に関心は薄いけれど、単位取得のために仕方なく参加している人」「関心は高いけれど、何らかのハンディ等があり、若干、理解に手間取る人」などなど、色々分かれています。仮に読者の皆さまが、その授業の担当者なら、どの人々に焦点を当てますか?私ですか?もちろん全部の方々です。

そこでBくんも指摘する、アナロジーとメタファーが役に立つのです。簡単に言い換えたり、喩えたりして、多くの学び手にわかりやすくするのです。大学生に理解してもらったり、その理解をもとに議論してもらうためには、2段階下の中学生にもわかるアナロジーやメタファーが必要であると私は思っています。

Bくんとのやり取りで、また私は学ばせていただきました。感謝、感謝です。

(つづく)