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◇愛情教育、この指とまれ◇その597◇令和の時代を生き抜く 名産大1年生物語 vol.47 竹澤 伸一

髙倉楓矢(タカクラ フウヤ)くん。北陸地方のとある県から、1つ上のレベルアップをめざして、名産大の門をくぐりました。髙倉くんは、母校の野球部で主将であり、チームの司令塔でもありました。その母校の先輩が、名産大野球部で活躍していた「ご縁」もあって、名産大に入学したというつながりもあったのです。

髙倉くんは、将来、母校へ帰り指導者になりたいという夢を描いています。そのための教職の選択という面もあり、「初志」ははっきりしています。

その髙倉くん、高3の時に、もと日本ハムファイターズで、好守の遊撃手としてプレーしていた広瀬哲朗氏にコーチングを受けたことがあります。広瀬氏が髙倉くんの地元と「ご縁」があり、母校が高野連を通して、広瀬氏に臨時コーチを依頼したのです。
広瀬氏は語っています。「ちょっと気持ちを入れ替えるだけで、高校生は伸びる。」と。一方、その教えを受けた髙倉くんも語っています。「選手目線で指導していただいて、球際にも強くなりました。結果を残して恩返ししたいです。」と。

プロ野球の一流選手だった方からコーチングを受けるという体験は、なかなか得難いものです。髙倉くんは、当時から「ご縁」と「運」に恵まれていたようです。

髙倉くんの、大学野球でのプレーは始まったばかりです。名産大で、全国から集ったプレーヤーと、日々、切磋琢磨を繰り広げています。髙倉くんは、チームメートのプレーの良いところを盗んでいるでしょう。と同時に髙倉くんも盗まれているはずです。

剣道家の私は、よく指導者同士で「剣風」の話をします。稽古や試合の進め方に、地方や道場、顧問や監督の「剣道スタイル」が反映することが多いのです。野球には、「野球風」というものがあるのでしょうか。今度、髙倉くんに聞いてみたいと思います。

(つづく)