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◇愛情教育、この指とまれ◇その705◇令和の時代を楽しもう。名産大2年生物語  vol.75竹澤 伸一

大学でのコミュニケーション能力の育成の場は、何と言っても「授業」です。ここで授業に「」をつけたのは、一方的な講義ではなくて「授業」ということを言いたいからです。そしてこの場合の「授業」は、とりもなおさず「アクティブラーニング」のことを意味します。

本連載の「その502」を、過去ログを当たってご覧いただけるとありがたいです。「何がアクティブラーニングなのか」「何をアクティブラーニングと呼ぶのか」について記しています。最高度の「アクティブラーニング」には、例えばグループディスカッションやグループワーク、ディベートやプレゼンというような、コミュニケーション能力育成に直結する「授業」の場面があります。90分間、ひたすら我慢に忍耐を重ね、聞きっぱなしの講義では、間違ってもコミュニケーション能力は育成できません。

私の敬愛する、ある大学の先生が、こう喝破(かっぱ)しました。「講義は孤独を助長する」と。90分間の聞きっぱなしでは、その教室にその学生がいようといまいと、何も痕跡は残りません。もし、朝から夕方まで、講義の連続で、教員と学生、あるいは学生同士、何も触れ合わず、何も会話をせず過ごしていったら、その学生は大学に「孤独感」だけを感じに来ているだけになります。もちろん大学生たるもの、主体的に質問したりするべきなのでしょうが、誰も彼もが主体性を持っているわけではありません。だから、講義ではなく「授業」で引き出すのです。

Tさん、そして読者の皆さま、さらに名産大の学生諸君、「コミュニケーション能力」について、もっともっとディスカッションしませんか?この難しい「令和の時代」を楽しむためには、コミュニケーション能力を身に着けることは大事だと思うのです。

もちろん、コミュニケーション能力を身に着ける場は、「授業」だけではありません。例えばゼミ、部活動やサークル、あるいはアルバイト先などなど。場所も機会もたくさんあります。「2年生物語」でも、ゼミやアルバイトのことまで、色々取り上げてきました。でも、こう思うのです。比較的楽な場面で発揮できるコミュニケーション能力と、プレッシャーのかかる部分で発揮できるコミュニケーション能力とは、自ずと違うものではないかと。

(つづく)