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◇愛情教育、この指とまれ◇その730◇ 令和の時代に挑戦しよう。 名産大3年生物語 vol.10竹澤 伸一
「3年生の後半になって、今さらながら単位を取ることの重要性に目覚めました。」
宮脇正志くんは、自分を振り返るように話し続けました。
「1年生の時、いくつかの科目で、大して勉強もしないのに単位が取れてしまったのです。それで、高をくくることを覚えてしまい、サボっていたら次は散々でした。名産大に限らず、大学の授業は、半期15回のうち、最低出席数を満たし試験に合格すれば、単位取得ができます。私は、授業にすべて出席し、予習・復習を十分にやって、最高の成績をめざすというより、最低出席数をクリアし、ぎりぎりでも何でも良いから、単位にさえなれば良いという考えに傾いてしまった時期がありました。今から思うと、自分が浅はかだったなあと思います。」
しかし宮脇くん、「目が覚めて」から、授業に対する見方が変わったと言います。
「今まで、約70科目の授業を取ってきました。たかが大学生の分際で、こんなことを言うのは生意気かもしれませんが、90分間、15回、配られたプリントにテキストを見ながら穴埋めをするだけの講座もあれば、毎回、自分の既有の知識を揺さぶられ、受講者同士や、先生も交えたディスカッションによって、新たな知識や考え方を身に着けさせてもらえる授業もあって、大学の授業って多様なんだなと思うようになりました。」
この宮脇くんの見方、私は大いに共感します。パワーポイントの資料をスクリーンにかざし、おそろしい程のスピードでスライドをチェンジして、終始一方的に説明をし、学生はただ沈黙してノートを取るだけの講義。テキストを棒読みし、申し訳程度のレジュメを配って90分間、教員がしゃべりっぱなしの講義。目の前の学生の理解度をチェックせず、思考力を揺さぶり交流・共有させることもしない講義は、「目覚めた」宮脇くんのような学生の目には、どのように映るのでしょうか?
(つづく)