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◇愛情教育、この指とまれ◇その751◇ 令和の時代に挑戦しよう。 名産大3年生物語 vol.31竹澤 伸一

「竹澤先生は、なぜ社会科を学ぶのか、生徒から質問された時に、世の中に出て騙(だま)されないために学ぶんだよ、と答えていたそうですね。今でも、そのお考えに、変わりはありませんか?」岸海渡くんが、唐突に聴いてきました。

私は躊躇(ちゅうちょ)なく答えました。「はい、中学校社会科の教員から大学教員に変わりましたが、社会科を学ぶ意味としての私の考えには、いささかのブレもありません。」と。実際、私は、なお一層そう考えるようになっています。

読者の皆さま、例えばの話ですが、憲法はなぜ存在するのか考えたことがありますか?国民主権の意味、基本的人権の尊重の意味、平和主義の意味、それぞれについて根本から考えたことがあるでしょうか?もともと現行憲法は、戦前の政府の国民(当時は臣民)への圧政を反省し、主権は国民にあることを再確認するところから出発していることは、誰でも知っているところです。先の「即位の礼」においても、現天皇は、「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」ことを、国内外に向けて高らかに宣言されました。その厳粛な雰囲気に、感動した方々も多かったのではないでしょうか。

ところが、この憲法に対してさえ、様々な形で政治利用をしようとする勢力があります。憲法に関する論議は、大いにするべきだとは思いますが・・。

こんな話を、岸くんも交え続けていると、岸くんがこうつぶやきました。「将来、教員になった時に、考えが足りなくて、ついつい道を踏み外しそうになる生徒を、1人でも多く救いたいんですよ。」

そうですよ、岸くん。「考えが足りなくて、流されて行動してしまう生徒」「みんながそうだからと、思考を停止してしまって、意味のない同調圧力に屈してしまう生徒」「言葉巧みに騙しにかかっている相手の思惑に、うっかり乗ってしまう生徒」・・を、「ちょっと待てよ、よく考えてみよう」と、立ち止まることのできる人間に変えていけは良いのです。教職の授業は、「対話的で深い学び」の連続です。今、学びの訓練をしていることが、将来、きっと実を結びます。

(つづく)