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◇愛情教育、この指とまれ◇その911◇名産大生、5年後、10年後の夢を語る。 vol.11竹澤 伸一

「私は、石にかじりついてでも、教育職に就きます。その夢の実現のためなら、どんなことでも努力は惜しみません。」

篠原竜也(シノハラ タツヤ)くんは、悲壮とも思える面持ちで語ってくれました。篠原くんとは、名産大において大変ご縁が深く、教養ゼミで1年間、専門ゼミでは2年目、計3年間お付き合いすることになります。大学4年間のうちに3年間、苦楽を共にするのですから、私にとっては、とても有難いことだと感じています。

ところで読者の皆さま、篠原くんの、微妙な言い回しに気づかれたでしょうか?篠原くんは、「教育職」と表現していて、決して「教職」とは言ってはおりません。つまり、教育の仕事には携わりたいけれど、それは必ずしも教員に限定されたことではないという意味です。

「教育職」と「教職」の微妙な違いが表現された、篠原くん自身の言葉です。

「・・・大勢の子どもに囲まれたり、子どもの小さな集団を動かしたり、子どもの小さな悩みに寄り添ったり。あるいは、大勢の父親・母親、おじいちゃん・おばあちゃんの前で、自分の体験談を語ったり、親の会や孫の会などで、寄せられた悩み相談に対して、自分の体験も交えながら一緒に考えたり・・。とにかく、子どもたち、親子・孫子の皆さん、子育てに関心のある皆さんとともに、今、目の前で起こっていることに対して、一緒に考え、問題解決していけるような、やりがいのある職業に就きたいんです。」

 「じゃあ、やっぱり教員になることが一番ではないか」と思われる方も多いでしょう。でも、少し世の中を俯瞰(ふかん)して考えてみていただきたいと思うのです。

ここからは、篠原くんと議論しながら、一緒に考えたことです。

1つ目。「子どもを本当に理解する」とはどういうことか。たとえば、幼稚園、保育園、小学校、中学校、高等学校で、「子どもを理解するために」日々、奮闘していらっしゃる先生方は、本当に「子どもそのもの」を理解しようとしているのか。あるいは、「園や学校」という「鋳型(いがた)」に、体よく子どもをはめ込もうとしているだけなのか。篠原くんとの議論は続きます。

(つづく、あと89回)