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◇愛情教育、この指とまれ◇その965◇名産大生、5年後、10年後の夢を語る。 vol.65竹澤 伸一

大槻太一くん宛のメールも、今朝で3桁に達しました。感謝に耐えません。その中から、現職の中学校教員であるMさん、高校教員であるHさんからのメールを抜粋してご紹介します。

Mさんより。「(前略)信頼される教員の条件・・。話題にされる度に、首の辺りに冷や汗をかきます。私は30年近く、中学校教員をしておりますが、教員に対する信頼なんて、もしかしたら幻想なのではないかと思っております。目の前の子どもたち、そして保護者の方たちに、本当に自分が信頼されているのか、遺憾ながら実感が持てないのです。そして、仮に自分が信頼されていると自覚している教員がいたなら、それはもしかしたら錯覚ではないですか?と言いたいのです。(中略)

ただ、大槻さんにエールを贈る意味で、これだけは記しておきたいと思います。自分が教員として信頼されているか、絶えず問い続け、問い返すことには、大変意味があるということです。教員ほど傲慢(ごうまん)になりやすい職業はないと、私は思っています。『私は生徒に愛情を持って接している』と自身は考えていても、生徒や保護者は、そうはとらえていないことは山ほどあります。大槻さんのように、常に自分を振り返る姿勢をもっている方に、私は限りない共感を覚えます。(後略)」

Hさんより。「(前略)私は劇団員を経て、高校の公民科の教員になった変わり種です。ようやく教壇に立ったのは、30歳をとうに過ぎていました。教壇に立って思うのですが、生徒を観客ととらえると、わかりやすい授業の意味がよくわかるような気がしています。演劇は、観客を無視しては成立しません。劇場が狭ければ狭いほど、観客の反応によって、劇そのものも動きます。(中略)

大槻さん、すばらしいことを言っていますね。『教え過ぎはNG』『授業の中で生徒自身に発見させる』『生徒から発せられる情報というものがあり、それを汲み取る』この中の『生徒』をすべて『観客』に置き換えてみてください。みごとに当てはまります。演劇は、役者が観客を無視して、演技が過剰になればなるほど、かえって何も伝わりません。教師も同じで、独演会になればなるほど、生徒には何も伝わらないということを、私は身に染みて感じています。演劇は、実は観客が主役、授業は生徒が主役なのだと思います。そのことを今からわかっている大槻さん、大いに期待が持てると思います。(後略)」

両先生、ありがとうございます。大槻くんには、何よりのエールです。

(つづく、あと35回)