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◇愛情教育、この指とまれ◇その992◇足かけ4年、忘れ得ぬ方々を想う。 vol.2竹澤 伸一

前回ご登場いただいた、お母さまとお嬢様から、合作で長文のお手紙をいただきました。ご両人にお断りして、抜粋してご紹介します。

「・・・亡くなった息子のことを連載に取り上げていただき、娘のことも、私のことをも記事に取り上げていただいて、感謝の言葉もございません。息子は、発病以来、今の言葉で申せば、ずっとステイホームの状態でした。病状が少し良ければ、ごくたまに車椅子で外出しておりましたが・・。(中略)

時々思うんです。もし息子が生きていたら、このコロナの時代をどう思っただろうって。サッカーができた頃は、毎日、早朝と夜遅くまで、ひたすらボールを追いかけておりました。サッカー友だちだろうと、サッカーとは関わりない友だちだろうと、とにかくじゃれ合うのが好きで、いつも息子の周りには、人、人、人であふれていました。でも、今は「三密」を恐れ、じゃれ合うことすらままならなくなりました。コロナの時代の新しい生き方なんて、知識人を気取った人たちがやたらと言い始めていますが、果たしてそれでいいのか?と息子に言われているような気がしてなりません。でも、そんな私自身も、復職した看護師の身。勤務中は、厳重に我が身を守る毎日です。日々、葛藤の中にいます。(中略)

母からバトンを引き継ぎました。色々迷った末(その節は、竹澤先生にも相談に乗っていただき、ありがとうございました。)、私は、兄を奪った難病を許すことができず、女医になることを決心しました。仮に、兄が名産大で、元気にサッカーをやっていたら、私の進路も異なっていたかも知れません。それほど、元気で明るかった兄は、私には大きな存在でした。(中略)

ところが、母も申しました通り、コロナのせいで、世の中が激変してしまいました。医学部に入学しましたが、特別な場合以外、大学に通うことすら許されない状態です。このままで果たして医道を全うすることができるのか、今はとても不安です。(中略)

ここからは、母娘合作です。そんな中、名産大の『合同会社説明会』の案内や、実施の記事を拝見しました。特に、実施の記事は、文体から察するに、書き手は竹澤先生ですよね?『この指とまれ』の連載がまもなく終わってしまうので、歯切れの良い先生の文章に触れる機会も少なくなるのでしょうか?本当に残念ですが、これからも応援させてください。(後略)」

お二人とも、ありがとうございました。また、お会いできるのを楽しみにしております。

(つづく、あと8回)