夢・目標・大学の講義

村上 健太郎

インターンシップ、社会人基礎力科目といった、今の大学のカリキュラムに携わった上で自分の大学時代を振り返ると、よく就職先が見つかったなあと思う(私の前職は博物館学芸員である)。少なくとも私は、社会人基礎力といえるような力は非常に低い学生だった。人の目を見て話せない。好きなことには集中できるが、嫌いなことは頑としてやらない。他人との共同作業が苦手で、自分の価値観だけで生きる学生だった。卒論発表会のとき、決められた発表時間を守らなくて、ゼミ担当の先生にしかられたのをよく覚えている。

大学4年になって、周りが就職活動に奔走する中、一人別の道を歩いて、大学院入試の勉強をした。「大学院進学という目標に邁進していた」と言えば聞こえはいいし、周りにもそう見せてきたが、「もしも就職活動をしても決まらないだろう」と思っていた節もあった。自分に「あなたは社会人になるための力が不足している」という評価が下されることから逃げていた。就職活動は「評価される」ことの連続だ。特に、自分で思っている以上の評価をしてくれることは非常に稀で、ほとんど常に、自分が自分にしている評価以下しか返ってこないものだ。それが何十回と続き、その中で巡り合ったどこかが、自分の就職先になる。大学4年時には就職活動をしなかった私であったが、大学院博士課程になってから就職を目指して、大学や研究所、自然史博物館に、多数の履歴書を書いて送った。そして、さんざん書類を作成し、郵送した後に、面接にすら呼ばれないのを何十回も経験した。

そんな人間だったから、私は偉そうにアドバイスをできるような立場にはないのであるが、ただ一つ学生に何かの言えることがあるとすると、「目標があることが大事」「私は目標がはっきりしていた」ということだろうか。大学1年の4月に、オリエンテーションを担当した助教授の先生に「大学の先生になるにはどうしたらいいか?」と質問した。また、大学院修士課程1年の5月に、研究室の博士課程の先輩に「自然史博物館の学芸員になるにはどうしたらいいか?」と聞いた。少なくとも大学教員とか学芸員といった職を最初から調べようとしていて、そこに向かっていくのはどうしたらいいのかを考えていた。そして、遠回りした感はあるが、とりあえずは、それらになれた。これは人との出会いや運が、かなり大きかった。なれたからといって、そこがゴールではなく、スタートであることは言うまでもないし、そのスタート地点に立った時に自分の社会人としての能力がいかに不足しているかを実感したが、その話はまたの機会にしたい。

目標を持つことがなぜ大事なのかを、今更言う必要はないだろう。「何かになろう」というとき、その能力が最初からある人は非常に稀だと思う。もちろん、私にもその力はなかったと思う。もし、そうした目標がなく、ただ、ボーっと授業を受けるだけの毎日であったならば、学芸員にはなれなかっただろうし、今、教壇に立っていることもないと思う。今の学生の何人かを見ていて、最も不安に思うのは、夢や目標のない学生だ。あるいは目標がないのに、「とにかく就職しなければ」と思っている学生も心配だ。たとえ、とても実現しなさそうな目標であっても、それをしっかり持っている学生は安心できる。寄り道をしながらゆっくり進む人、迂回ルートを進む人もいれば、真っ直ぐに直線距離を進む人もいるだろう。しかし、目標なく右往左往して、元のところに戻ってくるか、元のところにも戻れなくなっている人が多い。夢や目標を持てない人が持つにはどうしたらいいのか。それは、私にはわからないが、大学が環境、情報、ビジネスという多様なカリキュラムを提供していることのメリットは、自分にとって何がしっくりくるのか、自分が何を大事に思えるのか、夢や目標を何に設定するのか、いろいろな視野から考えることができるということだと思う。そういう見方で授業を受けてみると、退屈だと思う講義も聞こえ方が違ってくるのではないだろうか?少なくとも、私自身はそうだった。そして、そうした見方の中で出会ったのが今の自分の専門としている生態学だった。