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◇愛情教育、この指とまれ◇その420◇明日への飛躍をめざして 名産大3年生物語 vol.80 竹澤 伸一

 「変な言い方かも知れませんが、歴史を勉強するということは、先人の思想を言葉に翻訳して『傾聴する』ということになりませんか?」蒲牟田雄太郎くんの、この問いに対して、私はハッとさせられました。

 かつて、E・H・カーという歴史家が、「歴史は現代と過去との対話である。」と喝破(かっぱ)しましたが、蒲牟田くんが言うように、過去に生きた様々な人々の言葉を、謙虚に「傾聴する」ことこそ、歴史を学ぶことなのかも知れません。

 蒲牟田くんが、歴史系の教養科目に、いくつかの思い出を持っているのは、担当の先生が、授業の中で「人間そのもの」を映し出していたからだと思います。日本史の中の偉人も、あるいは名も無き民衆も、中国王朝史の中の英傑(えいけつ)も、皆、血の通った人間です。判断を誤った政治家も、事業で成功した実業家も、政府に逆らって革命を引き起こした民衆のリーダーも、その時代時代で、一生懸命に生きた人間です。蒲牟田くんが、歴史に惹かれるのは、人間との対話、即ち「傾聴」を大事にしているからに違いないと思います。

 いつの時代でも、人間は失敗する存在です。中には、自分の失敗を認めず、糊塗(こと)を繰り返す為政者もいますが、「傾聴力」、つまり他人の話に耳を傾けられる人は、失敗を糧(かて)にすることができます。蒲牟田くんの美点は、「傾聴力」にあります。

(つづく)