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◇愛情教育、この指とまれ◇その538◇アクティブラーニングはやっぱり学生が主役 vol.38 竹澤 伸一
議論が白熱し、言い出しっぺの学生が窮地に陥った時こそ、まさに私の出番です。私は教室全体に響き渡る声で(注:私は200人規模の大教室でもマイクは使いません)、こう言いました。
「私は〇〇くんに賛成。樋口君は相田先生に決して会いに行ってはいけません。」
一瞬、シーンとする教室。「言い出しっぺ」君は、思いっきり破顔。ちょっと間があって、教室に喧騒が広がります。
「先生、そりゃ薄情ですよ。」
「大学の先生も、彼女も、背中を押しているんですよ。」
「落ち込んでいる相田先生を、一番喜ばせることができるのが樋口君じゃないですか?」
発言が相継ぎます。私は冷静に聴きながすと、「言い出しっぺ」君に目を向けます。
「〇〇君、どうして君は、樋口君が相田先生に会いに行くのが心配なの?」
この場合、私がペラペラしゃべるより、〇〇君の見解を丁寧に引き出します。
読者の皆さま、この時、〇〇君は、皆に向かってどのような発言をしたと思いますか?実は私も、前言の通り、樋口君は、自宅謹慎中の恩師のもとへは行ってはいけないと判断しています。それには、いくつもの理由があります。一方、そう言いつつも、「会いに行きたい」「会いに行かせたい」という気持ちも当然わかります。つまり、教育に関わる現場には、唯一の正解はないのです。
「アクティブラーニング」には正解がありません。正解のないテーマを追究するのが「アクティブラーニング」と言い換えても良いと思います。
(つづく)