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◇愛情教育、この指とまれ◇その560◇令和の時代を生き抜く 名産大1年生物語 vol.10 竹澤 伸一

中谷綾花さんは、小・中・高等学校の時、こんな体験をいっぱいしてきたそうです。

「授業中に、誰かが指名されて、間違った答えを言ったとします。すると、だいたいの先生は、正しい答えをしそうな頭の良い子を当てて、その子が正解を言うと、『みんな、わかったね。』と言って先に進みます。でも、たぶん半分くらいの人が、本当はわかってないんです。けれど、先生は授業を進めなければならないんです。だから、全員がわかってなくても、とにかく先に進めるんです。」

「先生は授業を進めなければならないんです。」教員にとっては、ずばり指摘された言葉で、とても重いです。日本では、小・中・高等学校とも、「学習指導要領」というものに則って授業を進めることになっています。「学習指導要領」が形になったものが教科書、と言って良いと思います。その教科書の内容を、ひと通り終わらせないと、教員は世間(保護者や地域、教育委員会や文科省、あるいはマスコミ・・)から大変な非難を受けることになります。下手をすると、「指導力不足教員」のレッテルを貼られかねません。だから、実は先生も辛いのです。

 中谷さんは、「運動が嫌いな子も、体育の授業を楽しんでほしい」と言います。私も、「社会科が嫌いと思わされてきた子も、社会科が好きになってほしい」と、ずっと願って授業をつくってきました。

中谷さん、大丈夫、方法はあります。「嫌い」「苦手」を、「好き」「得意」に変えられる方法はあります。最悪でも、「嫌い」を「もっと嫌い」にさせない方法はあります。端的に言えば、「授業は、間違いを認める場」であることを徹底させることです。

ご一緒に模索していきましょう。

(つづく)