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◇愛情教育、この指とまれ◇その600◇令和の時代を生き抜く 名産大1年生物語 vol.50 竹澤 伸一

Eくん(仮名)が、こんなことをつぶやきました。「教育史について学んでみたら、世界史を学んできた意味が、少しはわかるようになってきました。例えばフランス革命に影響を与えた啓蒙思想家として名高いルソーは、なぜ市民を革命に導いたのか、今一つ腑に落ちない感じがしていました。しかし、単なる文明批評家ではなく、教育の世界にまで踏み込んだ発言や著作があったため、市民を目覚めさせたのだということがわかってきました。」うーん、この発見はとても大きな意味があります。ルソー自体は、一時流浪の民でした。教育も含めて、体制批判をしたからです。でもそこから、死後も含めて啓蒙思想家としての地位を確立していったのです。

さらにEくん、こんなこともつぶやいています。「聖徳太子が教育者だなんて発想がなんで出てくるのか、はじめはまったくわかりませんでした。でも、日本史上初めて、才能に応じて役人を登用する制度を導入したことが、裏を返せば教育の重要性を知らしめたことにつながり、後世の律令制下の官人養成機関である国学・大学の設置につながるという発想には、なるほどなあという納得感がわきました。」

「でも・・」と、Eくんは続けます。「私たちは、中学校や高校の授業で、聖徳太子を平板に教わっただけのような気がします。冠位十二階の制、十七条の憲法、遣隋使、法隆寺・・。竹澤先生のように、重要と思える順にランキングなんていう発想はありませんでした。テストの呪縛による歴史学習が、教育史の授業で、またまた覆されたのは、とても痛快なできごとでした。」

Eくん、まったくもって柔軟な学びをしていますね。けれど、もちろんEくんもご存知のように、聖徳太子の存在すら否定する研究者も現れています。歴史研究も教育研究も「葛藤」を繰り返しているのです。

(つづく)