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◇愛情教育、この指とまれ◇その773◇ 令和の時代に挑戦しよう。 名産大3年生物語 vol.53竹澤 伸一

「人と人とのコミュニケーションは、難しく大変なことが多いですが、積み重ねていけば、得られるものが多いなと感じています。」髙野正隆(タカノ マサタカ)くんは、何かを振り返りながら、しみじみと語ってくれました。

髙野くんも私も、温暖化(?)によって量は減ってきたとはいえ、未だ豪雪地帯と呼びうる地方の出身です。私見ですが、雪深いところの出身の人間は、一般的に我慢強い傾向があると思っています。自分を律するところが厳しく、頑固な一面を持ち合わせています。だからかも知れません。髙野くんは、授業の中で持論を展開する際、大方の意見が出尽くしたところで、それを何度も自分の中で潜らせて、見解を述べることがあると感じています。

髙野くんは、日を追うごとに、「人と話すことが好きになっていく」と語りました。この気持ち、私には何となくわかります。

多くの人が体験していることですが、人は、他人と話すことで、脳が活性化します。そして、どうやらこの現象は、相手が目の前にいない、例えばツイッターやフェイスブックでも、起こり得るようなのです。自分が語る(書く=投稿する)ことに、誰かが反応するかも知れないと思うことで、すでに脳が活性化するのです。それに、私的な情報発信は、他人とのつながりに発展する可能性をはらんでいます。もし、自分の発信に、たくさんのリプライがあれば、よけいに脳の活性化につながっていくことでしょう。

でも、髙野くんのコミュニケーションの取り方は、もっと複雑で、もっと深化したものだろうと、私は見ています。授業でも、ふだんの会話でも、私が何か依頼した時でも、髙野くんから依頼があった時でも、常に髙野くんは、発せられた言葉をしっかり受け止めています。1回だけではなく、2回目、3回目・・でも、ずうっとそうです。そして、豊かな会話を実らせ、相手の反応を自分にフィードバックさせて、自分を高めて行っています。

近年、持っていきようによっては、中学生同士でも「哲学的対話」が成立します。でも、成立させるためには相当な準備が必要です。しかし、髙野くんとの対話では、自然に深度が深まっている気がしています。

(つづく)