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◇愛情教育、この指とまれ◇その775◇ 令和の時代に挑戦しよう。 名産大3年生物語 vol.55竹澤 伸一

「まだまだ具体像は浮かんではいないのですが、人のために生きることのできるような人間になれたらいいなと思っています。」髙野正隆くんは、ひと言ひと言噛み締めるように語ってくれました。

「人のために生きることのできるような人間」・・。髙野くんの参考になるかどうかわかりませんが、私のベストフレンドを紹介させてください。

彼は、私と同じく61歳。「ある国」で、最下層の子どもたちのための学校を運営しています。若い頃、最愛の人を亡くし、一時、自暴自棄に陥っていました。ところが、ある日突然、「ある国」に行くと言い出したのです。実は、彼と私のファーストコンタクトも「ある国」ででした。本連載の「749」で、私は世界中を放浪していた時期があると書きました。日本に帰国する前の最後の滞在国が「ある国」でした。
彼と偶然出会い、意気投合し、最下層の子どもたちのためのボランティアを共にしました。その「ある国」に、彼は行くと言うのです。正確には、「〇〇国へ帰りたい」でした。

その後、「ある国」で彼は、一握りの同志とともに学校を立ち上げ、自治体や州政府の度重なる妨害にも関わらず(注、「ある国」の政府は、最下層の子どもがいることを公式には認めていなかったため)、何とか軌道に乗せました。今では、「彼の学校」に不定期に通う子どもたちは、数万人に達しています。近年、ようやく政府も折れ、様々な支援をしてくれるようになりました。

私は、年に1週間程度ですが、家族とともに「彼の学校」を訪れています。ある面、彼が、「彼の学校」が、私の教員としての原点だからです。「竹澤、お前って、教員に向いているんじゃないか」と、最初に言ってくれたのも彼なのです。

「人のために生きることのできるような人間」になりたいと思っている髙野くん。彼の話は、髙野くんへのプレゼントです。彼は、現地の女性に請われて結婚し、子どもにも恵まれ、ある面、幸せな暮らしを送っています。しかし、彼の一家は、「彼の学校」の中に居住し、そこに通う「1日に1食しか食べられない」子どもたちと同じ暮らしをしています。髙野くん、あるいは読者の皆さま、彼のような生き方を、どう受け止めますか?

(つづく)