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◇愛情教育、この指とまれ◇その874◇アクティブラーニングで開花しました。 名産大4年生物語 vol.64竹澤 伸一

「今、1人の人間として、どうすればカッコ良く生きられるのか、毎日のように考えています。」

永松廉くんは、真顔で語りかけてきました。私は思わず聴いてしまいました。

竹「永松くんの考えるカッコ良さって、具体的にはどんな表れかたをするの?」

永「今、自分が車のハンドルを握っている場面を想像してみてください。信号のない交差点に差しかかりました。ふと前方を見ると、右折車がウィンカーをチカチカさせています。バックミラーを見ると、後続車が何台か見えます。先生なら、どうされますか?」

竹「うーん、ちょっと迷うところだね・・。」

永「私だったら、迷うことなく停車して、右折車を行かせますね。ほんと、迷わないと思います。」

竹「なるほど。他に、思いつくシチュエーションってある?」

永「はい、落ちてるゴミがあれば、躊躇(ちゅうちょ)なく拾います。サッカー部では、チームの全員を信頼することのできるプレーヤーになれます。」

竹「なるほどなあ、それをまったく迷いなくできれば、ほんとにカッコいいよね。」

読者の皆さま、いかがでしょうか。永松くんは、「すべての出来事に対して、自分がどうすればカッコ良くなれるのか考え抜きたい。」と言います。そして、「カッコ良く行動できれば、物事は悪い方向には行かない。」とも言います。私は、永松くんの考え方の中に、1つの「美学」を見たような気がしています。

永松くんと別れた後、私は、とある友人の言葉を思い出しました。その友人は、かつて「キングカズ」こと三浦知良さんとお会いしたことがあるのです。その場所は、ピッチでもクラブハウスでも記者会見場所でもなく、まったくのプライベートな空間でした。その時を思い出して、友人は興奮気味に語りました。

「カズさんって、やっぱりすごいんだよね。何をやっていても、どんな場所にいても、カズさんは、やっぱりカズさんなんだよね・・。」

永松くんの言う「カッコ良さ」と、もしかしたら少々異質かも知れません。でも、永松くんの追求する「カッコ良さ」と、カズさんの「カッコ良さ」は、根っこの部分でつながっているような気がします。

(つづく)