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◇愛情教育、この指とまれ◇その901◇名産大生、5年後、10年後の夢を語る。 vol.1竹澤 伸一

平成29年9月17日から連載を続けてきた「愛情教育、この指とまれ」のラスト企画です。題して、「名産大生、5年後、10年後の夢を語る」。「その990」に向けて、90回連載しようと思います。もともと、「頑張っている名産大生をプロデュースする」ことを目的に始めた連載なので、最後を飾るのにはふさわしい企画だと思います。

令和2年度が始まって、新4年生になった名産大生に、片っ端からインタビューを始めました。「あなたの5年後、10年後の夢は何ですか?できるだけ具体的に教えてください。」「その夢の実現に向けて今取り組んでいることは何ですか?これも具体的に教えてください。」「その夢の実現に向けて名産大ができること、名産大に期待することは何ですか?具体的に教えてください。」

読者の皆さま、お気づきですよね?すべて「具体的に教えてください。」です。まず、4年生にインタビューを始めたわけは、「4年生こそ具体性の塊(かたまり)」であってほしいという、私の願いを込めてのことです。あえて厳しい言い方をするならば、4年生にもなって自分の将来に対して「具体性」がないのはおかしいよねという、「優しいプレッシャー」をかけようという魂胆(こんたん)があってのことです。

では、なぜ「5年後、10年後なのか」という設定についてです。個人でも組織体でも、よく目標を立てます。「短期」「中期」「長期」という区分け、あるいは「中長期的に」なんていう設定も見られます。私は、大学生なのだから、「5年間という中期」「10年間という長期」の目標、あるいは自分の将来像を構築してほしいと思っています。それが4年間、大学で学ぶ意味の1つだろうとも思っています。刹那的に生きることを学んだり、考えたりすることは、大学生にはふさわしくないような気がします。

新型コロナウィルス感染症が猛威をふるっている昨今、明日をも知れない世の中なのに、「5年後・10年後」を語る・語らせる意味があるのか、と考える読者の方もいらっしゃるかも知れません。でも、そのお考えには、こう反論させていただきます。「明日をも知れないからこそ5年後、10年後を語るんです。」と。今回、あえて「夢」という「曖昧表記」を用いました。漠たるものの中に「具体」が見えたらなと思います。さて、何人登場させられるか。私もドキドキしています。

(つづく、あと99回)