“マッサン”をよむ

学生課 吉永茂樹

NHK連続テレビ小説「マッサン」(平成26年9月~平成27年3月)は大正から昭和に生きた、日本で本物のウヰスキーづくりに人生を賭けた男と、その夢を支えた愛の物語である。

■竹鶴政孝(たけつる まさたか)ウイスキー製造者・技術者、ニッカウヰスキーの創業者、「日本のウイスキーの父」■竹鶴リタ・妻ジェシー・ロバータ・カウン(愛称リタ)は漬け物や塩辛まで手作りした、日本人以上に日本人らしい、スコットランド生まれの女性。「マサタカサン」という発音が難しかったため、夫を「マッサン」と呼んだ。

通称「竹鶴ノート」は、スコットランド研修で習得した、ウイスキーづくりの工程や設備のイラストが綿密に書きこまれた報告書であり、貴重な歴史資料でもある。また社員の待遇や働き方、労働環境についても、「効率をはかり退出時間が来たら遠慮なく家に帰り」家族とともに「楽しい夕べを過ごす」ことは、「凡な人として踏むべき道」であると書かれている。今の時代においても大切な考え方である。

ウイスキーづくりは、寿屋(現サントリー)鳥井伸治郎に入社。10年契約後退社し、北海道余市町に余市蒸溜所「大日本果汁株式会社」を設立。リンゴジュースや果汁ゼリーを製造してウイスキーができるまでの繋ぎとした。出資者は加賀正太郎(加賀証券創業者)、芝川又四郎(芝川ビルディング当主)、柳沢保恵(統計学者)などである 。昭和15年余市蒸溜所初のウイスキーが完成した。「大日本果汁」を略して「ニッカ(日果)ウヰスキー」と命名した。

竹鶴政孝は、「ウイスキーづくりにトリックはない」「信念を曲げずに前進する。それが好意を寄せてくださった人々に報いる私の道」。本場スコットランドのウイスキーづくりを追求した、思い込んだら命がけ、人付き合いも下手で不器用な、仕事には厳しい職人肌の人物であった。しかし、一般従業員には機会あるごとに家族を大事にすることを奨励した。創業時から会社の慰安会を大事にし、妻リタと共に従業員には家族のように接していた。何か催しがあると、従業員の家族まで呼んで楽しませた。従業員にとっては父親・母親のような存在との思いで働いていたという。また、労働組合をつくるように経営者として提案をしている点に注目したい。従業員のことを本当によく考えていたと思われる。スポーツに関して特別に力をいれ、従業員は何かのスポーツ部に参加させた。地域振興にも力をいれ、私費を投じて「竹鶴シャンツェ」と呼ばれるジャンプ台を余市につくり、札幌オリンピック金メダルの笠谷幸生が練習した場所である。マージャンや碁などの勝負ごと、また魚釣りや熊撃ちなどアウトドアも好きで、「よく働き、よく遊ぶ」はニッカウヰスキーの社風に引き継がれている。

経営者として、技術の伝承、人材の育成、組織構造、リーダーシップ等、「見えない資産」にも充分心くばりがなされている点に、竹鶴政孝の人物像をよむことができる。「人を愛する心」「人は宝」そんな気持ちを常に持ち、そして謙虚でありたいものだ。

ウイスキーの国際大会「ワールド・ウイスキー・アワード」では、ニッカウヰスキーは2007年から、シングルモルトウイスキー部門、ブレンディドウイスキー部門のいずれかで、6年連続のワールドベストを受賞。サントリーは2013年に優勝し、翌2014年には再びニッカウヰスキーがブレンディドウイスキー部門で優勝、日本勢が8連覇を達成している。「日本のモノづくり」は、品質の優秀さ、繊細な心と、改めて「日本の底力」を見た。

NHK「マッサン」第90話より『鴨居欣次郎の言葉』(鳥井伸治郎:サントリー創業者)
経営者としての覚悟を問う「経営者は家族と従業員を幸せにしなければならない。そのためには石にかじりついてでも利益をださなければならない。たとえ無様であっても恥をしのんでも会社のために頭をさげなければならない。」「理想を追求する自分を自分で封印し、妥協の道を自分で決断する必要が出てくることもある。」 経営者としてのあり方を示した熱い言葉には、胸に迫るものがあった。

参考資料:「マッサン」と呼ばれた男    産経新聞出版
「マッサンとリタ、その人生」     宝島社