仕事における「今、ここ」への専心

 専心あるいは没頭ということばがある。しかし、なかなか一つの仕事や作業に意識を集中させることはむずかしい。試験勉強をしようとするときに机の上の片付けに熱中してしまうということはよく聞かれるが、今やるべきことに専念することにいかに多くの人が苦労をしているか。このようなときこそ、哲学者や心理学者のことばが参考になるかもしれない。

 まずスイスの哲学者のヒルティはこのようなことを言っている。
「まず何よりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。仕事の机にすわって、心を仕事に向けるという決心が、結局一番むずかしいことなのだ。一度ペンをとって最初の一線を引くか、あるいは鍬を握って一打ちするかすれば、それでもう事柄はずっと容易になっているのである。ところが、ある人たちは、始めるのにいつも何かが足りなくて、ただ準備ばかりして(そのうしろには彼らの怠惰が隠れているのだが)、なかなか仕事にかからない。そしていよいよ必要に迫られると、今度は時間の不足から焦燥感におちいり、精神的だけでなく、ときには肉体的にさえ発熱して、それがまた仕事の妨げになるのである。」(ヒルティ『幸福論』第一部、草間平作訳、岩波文庫、1935年、24頁。)

 ここでは、まずはじめの一歩を踏み出すことの意義が指摘されている。なるほどそうかもしれない。やるべきことの期限がせまってきたとき、あせって他事の心配までするのではなく、一つのことに専心してまずは一歩を踏み出したい、と自分に言い聞かせたい。

 アメリカの心理学者のダイアーは次のように言う。
「何をやるにせよ、考え過ぎるとかえってそのことからの圧迫感を覚えてしまう。そうではなく、ほとんどの場合は、安心して身体に任せ、身体が習得したことをそのままやらせておけばよいのである。……気をラクにして身体のなすがままにすることは、あなたの身体の機能を低下させるどころか、逆に増進させることになる。人間は熟練してしまえば、あとはごく自然にそれをできるようになるのである。」(ウェイン・W・ダイアー『どう生きるか、自分の人生』渡部昇一訳、三笠書房、1999年、264‐265頁。)

 これは日本の伝統的な禅の考え方に似てはいないだろうか。何も考えないのも問題であるが、考え過ぎも禁物である。圧迫感を感じることなく、呼吸を整え、「今・ここ」に専念したい。

岩瀬 真寿美