「疎外」という問題

 「働く意味」とは何か。この答えは様々あり、正解を一つに絞ることができない問いの一つであろう。そこで、とりあえず「疎外」をキーワードに考えてみた。

 「疎外」とは何か。辞書によれば、
「ヘーゲルでは、精神が自己を否定して、自己にとってよそよそしい他者になること。マルクスはこれを継承して、人間が自己の作りだしたもの(生産物・制度など)によって支配される状況、さらに資本主義社会において人間関係が主として利害打算の関係と化し、人間性を喪失しつつある状況を表す語として用いた。」(新村出編『広辞苑』第六版、岩波書店。)
とある。

 ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者であるエーリッヒ・フロム(1900‐1980)は、「自分自身からも、仲間からも、自然からも疎外されている」と問題視している(エーリッヒ・フロム著、鈴木晶訳『愛するということ』紀伊國屋書店、2014年、131頁)。しかしそのような人間を現代資本主義が必要としてきてしまった。現代資本主義が必要としてきた人間とは、

「大人数で円滑に協力しあう人間、飽くことなく消費したがる人間、好みが標準化されていて、ほかからの影響を受けやすく、その行動を予測しやすい人間である。また、自分は自由で独立していると信じ、いかなる権威・主義・良心にも服従せず、それでいて命令にはすすんで従い、期待に沿うように行動し、摩擦を起こすことなく社会という機械に自分をすすんではめこむような人間である。無理じいせずとも容易に操縦することができ、指導者がいなくとも道から逸れることなく、自分自身の目的がなくとも、「実行せよ」「休まずに働け」「自分の役目を果たせ」「ただ前を見てすすめ」といった命令に黙々と従って働く人間である。」(フロム、同頁。)

 さらにフロムは次のように続ける。彼ら・彼女らにとっての最大の目標は、「自分の技能や知力を、また自分自身を、つまり「人格のパッケージ」を、できるだけ高い値段で売ること」であり(フロム、156頁)、そこには「成功のみを追いかける疎外された社会」がある(フロム、157頁)。

 そもそも我々は「働く意味」について立ち止まって問う必要があるのだろうか。休まずに、自分の役目を果たし、ただ前を見てすすんでいるとき、我々はそのような問いを自分に投げかけることは少ないかもしれない。しかしこの問いを常に心の隅に置いておくことが、これから社会に羽ばたく学生の皆さんにとっても、視野を広げてくれるかもしれない。

岩瀬真寿美