小さい時間の断片

例えば、締め切りが迫っているのに仕事が思うように進んでいない時、明日が試験日なのに十分な学習ができていない時、依頼された仕事を断る時、その理由として、我々は「時間がない」という言葉をよく使う。

多忙な人にとって「時間がない」ことは事実である。そして、多くの人が仕事や学習から逃れる口実として「時間がない」という言葉を使っているつもりはなく、「もっと多くの時間があれば、仕事や学習に十分に取り組みたい」と心底思っている。

しかし、スイスの哲学者、法学者であるカール・ヒルティは、「時間がない」は仕事や義務から逃れるための口実の一つであるとして、次のような言葉を残している。

「〔前略〕小さい時間の断片の利用である。多くの人は仕事にとりかかる前に、なにものにも妨げられない無限の時間の大平原を目の前に持ちたいと思うからこそ、彼等は時間を持たないのだ。〔中略〕実に、この小さい時間の断片の利用と、「今日はもう始めても無駄だ」という考えをすっかり取り除くことが、ある人の生涯の業績の半ばを形づくる、と言ってもさしつかえないだろう。」(カール・ヒルティ著『幸福論(第一部)』)

我々は限られた時間のなかでしか生きられない。さらにその限られた時間には、生きるために必要な睡眠や食事などの時間も含まれている。仕事や学習に取り組める時間は僅かである。しかし、僅かな時間のなかでも、大業績を成し遂げる人物は存在する。大業績を成し遂げた人物に膨大な時間が与えられていたわけではない。日々の小時間の過ごし方の積み重ねが大きな業績につながったのである。存在しない時間の大平原などは求めず、小さい時間の断片を大切にすることを心がけたい。

藤井 浩明